BIOGRAPHY

1999年-2000年【ヤンオリ結成前~結成初期】

1999年

1999年11月「バンド八代」結成。
メンバーは、
Ba,Vo:ヒーロー・of・八代(尾崎慶彦)
Gu,Vo:マスク・ド・八代 →マグナムYATSUSHIROへ改名(松村浩史)
Dr・プログラミング:ナマハゲ八代(中島真洋)
の3ピース。

当時は、「覆面バンド」として活動し、本名を未公表としていた。

※中島真洋のみヤンオリ活動には合流せず、自身のバンド「ほろよひ」「おれんじ」を継続した(2003年ヤンオリLIVEに一度だけ「三味線」にてゲスト参加する)

1999年、八代市より上熊した若者3名でパンクバンド「バンド八代」を結成。
1999-2000結成当初のバンド八代の勢いは凄まじく、常に「モッシュ&ダイブ」と「笑い」に包まれた。

2000年

2000年5月 バンド八代1stマキシシングル「バンド八代」(NBR-001)発表。
それに伴い、自主レーベル「人間便器RECORDS」設立。

2000年6月 バンド八代1stマキシシングル「バンド八代」(NBR-002)リテイクされ再発。

2000年当時、アイドル級に人気を博すバンド八代。ライブは常に満員、音源は即完売状態に。
2000年 パンク・バンドでありながら、「2MC+1DJ」のヒップホップスタイルへ変貌を遂げ、「熊本のビースティ・ボーイズ」と揶揄される。

2000年8月 バンド八代2ndマキシシングル「P・U・(N)・K」(NBR-003)発売(後に、歌詞が問題となり自主回収となる)

2000年9月 バンド八代を始めとした7アーティストによるオムニバスアルバム「人間便器ナイト」(NBR-004)をリリース。

2000年11月 「バンド八代」解散。

バンド八代解散後、新しいバンドを結成しようと思った松村・尾崎は、2000年当時開催された「AIRJAM2000」のVTRを見る。その中で、特に印象に残った「鉄アレイ」の強烈な個性(見た目)と、「LOW IQ 01」の多メンバー編成に影響を受け、かつ「喜納昌吉&チャンプルーズ」の様な「人名+バンド名」のバンド名にしようと話し合う。
結成当初の仮バンド名は「尾崎慶彦&逆チャンプルーズ」であった。
(喜納昌吉&チャンプルーズのテーマである「すべての武器を楽器に」というコンセプトをもじり「すべての楽器を武器に」というコンセプトで進める予定だった。)

2000年11月 ヤンキーオリンピック結成(結成当時は尾崎慶彦&ヤンキー・オリンピック)

2000年11月 松村・尾崎はバンド八代解散後、さっそく新バンド結成に着手する。


2000年11月 正式なバンド名決定時に、松村が「ヤンキー・スマイル」、尾崎が「○○・オリンピック」(○○は何だったか現在不明)とそれぞれ案を持ってきたため、二人は同時に「ヤンキー・オリンピック!!」と声を出し、バンド名決定の運びとなった。
(「ヤンキースマイル」は後に曲名として採用される)

結成当初は「ヤンキー・オリンピック」表記(「・」あり)が多く、「尾崎慶彦&ヤンキー・オリンピック」と名乗っての出演が多かった。
※2010年頃より「ヤンキーオリンピック」表記に統一している。

結成直後、周りのバンドとの差別化をはかるため「テクノ・ビリー」(サイコビリー+テクノ?)という新しいジャンルの創造や、アコギ3本にシーケンサーを駆使したプログラミング音楽という実験的なリハーサルを繰り返すが、もちろんまったくうまく行かず。
(結成直後のスタジオメンバーはGu,Vo松村、Vo尾崎、Gu,Vo宇野、Guこるり、Baジョージ、Dr中松芳生、プログラミング田中公平。)

2000年 結成メンバー(のちのオリジナルメンバー)の松村・尾崎・宇野にて

実験期の失敗から、ツインボーカル+ギター+ベース+ドラム+キーボードというバンドスタイルになっていく。

2001~2003年【オリジナルメンバー期】

2001年

2001年1月、ヤンキーオリンピック初LIVE。
「ヤンキーオリンピックのテーマ」「新世紀」「さよならの頃」「ファッキン25才」等を披露する。
(初LIVEメンバーはGu,Vo松村、Vo,Ba尾崎、Key福田純子、Vo宇野雅臣、Dr中松芳生 の5名。ちなみに、田中公平はLIVE直前にクビになる。)

2001年1月ヤンオリ初LIVE。キーボード純子作詞作曲の「さよならの頃」も披露する。

初ライブ後、松村・尾崎の前バンド「バンド八代」が再結成&フルアルバム「BAND YATSUSHIRO」(NBR-005)リリース&レコのため、4ヶ月ほどヤンオリ活動休止となる。
※後に、当アルバムは、歌詞内容が問題となり自主回収となる。

2001年春 新メンバー(ヤンオリ「オリジナルメンバー」9人:松村浩史・尾崎慶彦・宇野雅臣・飛騨裕之・西尾純平・中松芳生・上村謙介・田中公平・長谷ちゃー)で本格的に活動開始。

2001年6月 通称「オリジナルメンバー」9人で初めてとなるLIVE。
2001年 ヤンオリオリジナルメンバーの9人(公平、ちゃーは写っていない)

「バンドスタイルに加え多人数のパーカッション」という目新しいスタイルを確立。所属レーベル・人間便器RECORDSのテーマである「ライブは運動会だ!」というコンセプトをもっとうに、激しいステージングを展開していた。
(イースタンユースの「ライブは運動会ではない」という発言より由来。)

また「九州のSLIP KNOT」と自らを謳い、メンバーに「コードナンバー」を付けていた時期があった。

2001年夏 地元の障害者支援センター夏祭りで野外LIVEを行う。観客の皆さんより「とても元気になった!」という声をもらい、さらにバンド活動に邁進する。

2001年 障害者支援センター夏祭りLIVEにてトラック上で暴れるヤンオリ。



2001年夏 地方テレビ局主催みすみ港まつり「ヤングバンド選手権」に出場するも、あまりの危ういパフォーマンスによりヤンキーオリンピックのみTV放映カットとなる(通称「ヤンオリTVカット事件」)

ライブ司会をしていた某局女性アナウンサーからは「何でこんなバンドになったんですか?」「他のバンドは皆まじめにやっているのに」との質問をされる。
その際、審査員長(当時Django店長・藤本氏)から「そこら付近のパンクバンドより全然危ない」という好評をもらう。

2001年 ヤンオリのみTV放送からカットされてしまう。
2001年 某局アナウンサーから辛辣なコメントをもらう松村(右)。

この頃、FUJI ROCK FESTIVAL出演後のファンタジーズコアに「今年見た国内外バンドの中で5本の指に入る」という評価をもらったことがある。

初期の楽曲には曲中(サビ前)でのコント(もしくはセリフ等)が多かった。メンバー曰く「ヤンオリ十八番のSTOP&GOの展開」とのこと。

2001年秋 地元国立大学の学園祭LIVEにゲスト出演。

2001年 熊本大学の学園祭にゲストで呼ばれるヤンオリ。
2001年 熊本大学で激烈歓迎を受けるヤンオリ。

また初期の楽曲歌詞中で誰かが死ぬ内容が多かった。メンバー曰く、「いつ死ぬかわからないので、今を全力で生きて欲しい」というメッセージとのこと。

2001年 母校の学園祭で野外LIVEで行うが、危すぎるパフォーマンス諸々トラブルとなってしまう。。。
2021年11月 都度トラブルを起こす中松メンバー。

2001年より所属レーベル人間便器RECORDSと「人間便器NITE」を主催スタート。毎度150~250名集客と熊本では異例の集客力を誇る。当時あまり九州地方で見かけられなかった「バンド+DJ」イベントの走りとなる。

圧倒的な集客を誇った「人間便器NITE」シリーズ。ジャンルレスのバンド+DJイベントの先駆けとなるり、各種地方紙の取材を多数受ける。

2002年

バンド名変更プランに「尾崎ワイワイワールド」という案が出たが、却下となる。

2002年 ”妖精”飛騨(キーボード担当)

2002年3月 一度目の「解散LIVE」を行うが、何食わぬ顔で翌月4月よりライヴ活動を再開した

2002年 当時、唯一のイケメン枠であった宇野だが、ライブ中の奇行が目立った。

ライブ会場の入口に「当LIVEではいかなる場合も責任は取りません」という趣旨の張り紙をしていた時期がある。(メンバー欄「飛騨、妖精じゃなかった事件」以降の解消策として)

2002年 その激しく、楽しいパフォーマンスが話題を呼び、300人以上の集客を続けるヤンオリ。
2002年 ステージ上炊飯を行うkey飛騨。
2002年 巨大なモッシュピットを作り出すヤンオリ。
空も飛べるはず

2002年 昨年に続き、地元熊本の某国立大学の学園祭LIVEに招待されるもメンバー飛騨が「キーボードを弾かずに、釣り竿を持ち込み、全裸で釣りをする」等の謎のパフォーマンスを行い、それ以降お呼びがかからなくなる。

2002年 熊大LIVEでキーボードを弾かず大物を釣り上げる飛騨。

2002年 いつのまにかメンバーが増えてくるヤンオリ。
収集がつかなくなるヤンオリ。

2002年12月「マキシマムザホルモン」の前座の話をもらうが、自主イベント「人間便器NITE#5~X’mas Special(250名集客)」と日程がかぶったため辞退し、後に大きく後悔

2002年 諸事情によりメンバーに消臭剤をかけられる飛騨。
2002年 マキシマムザホルモンの前座を断り自主企画を行う。
2002年 バンドとDJで力を合わせ、人間便器NITEシリーズは都度180~250名の集客を達成する。マキシマムザホルモンの対バンを蹴りちょっぴし後悔する。

2003年

2003年も爆進を続けると思われたヤンオリであったが…
2003年 月間で最大4,5本のライブを行うヤンオリ。

2003年3月 大々的に「解散LIVE(2度目)」を行う(但し、数か月後にはなし崩し的に活動を再開する)

2003年3月 リーダー松村、学生時代最後のヤンオリ。

2003年春 リーダー松村、隣県へ転勤。学生時代よりライブ活動が一時減る。



2003年夏 「人間便器NITE#7」にて、松村を除いたヤンオリメンバーにDJ(DJ LIE)とギタリスト(樋口マンハッタン)を加入させ「ドクロ猫」という別名義バンドで一度ライブを行ったことがある。
(過去に松村・尾崎・飛騨・宇野で一時活動していた「髑髏猫」と同じ読みではあるが別バンド)

2003年 解散と騒いでいたわりには普通にライブを行うヤンオリ。

2003~2007年(まら社長転勤~混乱期)

2004年

2004年3月より3ヶ月に1回のペースで「一夜限りの再結成LIVE」を行い、その後も何食わぬ顔で活動を続ける。

2004年 「再結締LIVE」を短期間に3回行い信頼を失うヤンオリ。
2004年 「解散詐欺」疑惑をかけられるヤンオリ。結成来、ライブを休んだ年は無い。

2005年

2005年 ヤンオリLIVE動画を中心にインターネット無料配信開始(人間便器RECORDS提供の「人間便器TV」内にて)。当時はまだYouTubeが開始される前で日本インディーズバンドの動画配信の先駆けとなる。

2005年 サイドボーカル宇野の脱退に伴い、中松よしおが昇格する。

2005年頃から メンバーの社会人かにより熊本・福岡・宮崎・長崎・鹿児島・大阪・神奈川と本格的にバラバラになっるが、遠方より毎度の集合、メンバー入替&サポートメンバー追加を繰り返し活動を継続する。

2005年 バンド練習という名目で松村が度々熊本に帰ってくるが、基本的に居酒屋で倒れるまで飲んで、なんとなくできた曲が、今の曲たちである。
2005年 所属レーベルの「人間便器RECORDS」Tシャツが異様に売れる。
2005年も相変わらずのヤンオリ。

2006年

2006年 佐賀県の某国立大学のイベントに招待されるもメンバー飛騨が「キーボードを弾かず、バットとボールを持ち込み、全裸でノックをする」等の謎のパフォーマンスを行い、それ以降お呼びがかからなくなる。

2006年 佐賀大学でライブを行うヤンオリ。それ以降お声はかからない。
2006年 佐賀大学にて。この頃まではメンバーが裸体になることが多く、ほとんどのLIVE写真がお見せできないのが残念である。

2006年 少しでも自分達のライブを見てもらいたいという思いからYouTubeでも無料動画配信でもスタート。当時本国アメリカでもYouTubeが開始されたばかりで、日本版YouTubeもなく日本語非対応の時期でありなり、国内バンドYouTube動画配信の先駆けとなる。当時南米やヨーロッパ、アジア圏を中心に各国ユーザーより多数のコメントをもらう。

2006年 新曲「金玉 in my head」を初披露。YouTubeで即日15万回再生を達成し話題となる。

当時のメンバー飛騨のパフォーマンス(及び酒癖)は有名で、機材破壊が多くライブハウスへの弁償が続く時期があった。

2006年 益々演奏をしなくなるヤンオリ。

2007年

2007年頃よりライブハウスのバンド紹介等で「熊本の生ける伝説」という紹介をされることが多くなる。後にヤンオリ自らアレンジを加え「熊本の生ける(都市)伝説」と謳っている。

2007年頃 メンバー飛騨の脱退により、割かしまともなバンドとなる。

2007年 相変わらず成長のないヤンオリ。リーダー松村はライブのたびに隣県より帰熊し金欠になる。
2007年 ドラム上村ケンスケ、ベース吉本ヒロキが今となっては懐かしい。
2007年 毎度、控室を占拠してしまうヤンオリ(対バン各位 申し訳ありません)

2008~2016年【成長期(自称)】

2008年

2008年 松村が隣県より帰熊。
それを祝して「お帰りまら社長」と冠したバンド&DJイベントが開催されヤンオリも出演する。

2008年 「お帰りマラ社長」より。隣県より松村が本格的に帰熊。練習が比較的やりやすくなる・
※2008年前後の写真画像があまり見つからないため動画を掲載。

2009年

2009年7月 1stアルバムとして2枚組ライブ盤「ヤンキーオリンピック LIVE2000-2009」(NBR-007)をリリース(現在入手困難)

2009年 ライブ盤38曲入り(2枚組)という、海外大物アーティストの様なCDを発表してしまうヤンオリ。
2009年 2枚組ライブ盤は予想以上の売れ行きを見せる(現在入手困難)

2009年9月 2nd「デモリンピック」(NBR-008)をリリース(現在入手困難)

2009年でGARLIC BOYSの来熊LIVEの前座を任せられた。
(以降4年連続4回、GARILC BOYのサポートを行う)

2009年4月 ガーリックボーイズと初対バン。以降来熊時に4年連続対バンを任せられる。
2009年 旧NAVAROで「1時間バレンタインLIVE」を敢行するヤンオリ。

2010年

2010年 所属レーベル人間便器RECORDS10周年イベント「人間便器NITE#8」を敢行。集客240名。

2010年 人レコ10周年イベントを開催し大盛況となる。
2010年 人レコ10種年記念「人間便器NITE#8」は会場キャパオーバーを起こし、一時入場制限をかけるほどとなる。
2010年 若手ミュージシャンと積極的に絡もうとするヤンオリ。

2年連続2回目のGARLIC BOYの来熊時のサポートを務める。

2010年 昨年に続きガーリックボーイズの前座を務める。

2011年

2011年 GARILC BOYSと3年連続3回目の来熊時のサポート対バンを行う。

2011年 「人間便器NITE(#9)」が開催されるが、ヤンオリや人間便器RECORDSは直接関係しておらず、名義・ブランド無断使用での開催となり問題となる。

直前でヤンオリに出演オファーが来るも出演を断った。

2011年 3年連続でガーリックボーイズの前座を務めるヤンオリ。

2012年

2012年頃より、初期の激しさを売りにしたスタイルから、曲・パフォーマンス共にポップな面が強くなってきている。

2012年 若者より指示を受けるヤンオリ(自称)

2012年 GARILC BOYS来熊時のサポートを4年連続4回目務める。

2012年 4年連続となるガーリックボーイズとの対バン。

2013年

2013年 Ustreamでのインターネット「生ライブ配信」を年1回ペースで開始。当時予想以上のアクセスが上がり話題となる。

2013年 サポートメンバーを誘致しまくるヤンオリ。
2013年控室にて。 天才「原本ファミコン」加入以降は劇的な成長を遂げるヤンオリ。但し、約10年間、リーダー松村に「原田」と勘違いされていた。

2014年

2014年 所属レーベル人間便器RECORDS15周年イベント「人間便器NITE#10」を敢行。集客220名。

2014年 人間便器RECORDS15周年イベント「人間便器NITE#10」より。
2014年 精力的にライブ活動を行うヤンオリ。

2015年

2015年 結成15周年記念LIVE「YANKEE’S NOT DEAD」を開催。190名集客。
(後に「YANKEE’S NOT DEAD」は3rdアルバムのタイトルとしても使用されることとなる)

2015年 伝説となったヤンオリ15周年記念LIVE。
2015年 ボディービルダーのオイルでライブハウスを困らせるヤンオリ。
2015年 15周年記念LIVEでは190人を集客。
2015年 お客さんを巻き込んだライブを展開し続けるヤンオリ。

2016~2021年【熊本震災、尾崎脱退…。超・成長期(自称)から、まさかのコロナ期】

2016年

2016年2月「SONY MUSIC ARTISTS」とTV局主催のオーディション「JACK THE HAPPY」(HAPPY JACK熊本出演枠審査)の最終先行候補に残るものの「行進にチャンスをお譲りください」とのコメント共に最終LIVE審査には残れなかった。
その際ソニー審査員に「往年の渋さ知らずズ、JAGATARAを彷彿とさせ、大人の凄みをひしひしと感じさせてくれて、それを持続していく気力・体力・音楽愛がすごい」というコメントをもらう。

2016年 SONY主催の「JACK THE HAPPY」(HAPPY JACK熊本出演枠審査)で高評価を得るも最終的には落選。

2016年 2015年末のレコーディングを最後にバンドに距離を置いていた、結成&オリジナルメンバーでありメインボーカル・作詞作曲担当である尾崎の脱退により、結成メンバーが松村のみとなる。
バンド継続が危ぶまれたが、その後も精力的に活動を継続する。

2016年7月1日初の全国流通盤となる12曲入り3rdフルアルバム「YANKEE’S NOT DEAD」をリリース。当初熊本エリアは2016年4月先行発売だったが、CD納品日が熊本震災と重なり県内の物流機能がマヒしていたため発売延期となった。

2016年 3rdフルアルバム「YANKEE’S NOT DAED」を全国流通にてリリース。

2016年8月、仲間のバンド・DJを集め熊本震災復興支援イベント&3rdアルバムレコ発イベント「YANKEE’S NOT DEAD,KUMANOTO’S NOT DEAD」を開催。190名集客。
CDの売上の一部とLIVEの利益全額を義捐金として寄付した。

リーダー松村は実父の震災関連死、当時メンバーの吉本は実家全壊を経験したが、メンバー各々が復興に向け積極的にボランティア活動に参加。

「一日でも早くヤンオリの様な馬鹿らしいバンドを見て心から笑えるような日が来れば」という思いから熊本震災復興イベントとして「YANKEE’S NOT DEAD 、KUMAMOTO’S NOT DEAD」は開催された。

2016年 3rdアルバムの売り上げと復興支援ライブを慣行。CD売り上げとライブ収益金を人間便器RECORDS&ヤンキーオリンピックより熊本県に34,432円、BATTLE-BOXへ10,000円の義援金を寄付する。
2016年 熊本震災復興支援&3rdアルバムレコ発LIVE「YANKEE’S NOT DEAD,KUMAMOTO’S NOT DEAD」を慣行。ボーカル尾崎慶彦の脱退は、痛手となるがボーカル堀&ヒロショーロショーの新ツインボーカル体制が構築されていく。

ラジオ番組「かなぶんや KUMAMOTO MUSIC BAN !!」にて3rdフルアルバム「YANKEE’S NOT DEAD」より3曲オンエアされる。但し、大人の都合か、1.2倍速程度でのオンエアーとなる

2017年

2017年 地元熊本の先輩である餓鬼レンジャーと初共演。

2017年 熊本の大先輩である「餓鬼レンジャー」と共演。


2017年 ZEPHYEN presents「A.V.E.S.T. Project ACT オーディション」の最終ライブ選考に参加するも、箸にも棒にもかからなかった。

2017年 堀&ヒロショーのツインボーカルが完成されていく。キーボードには冨士崎が加入。
2017年 オーディション参加や、ゲストバンドの前座が増える。
2017年 ダンサー、ボディービルダー、オタクなど様々なパフォーマーが活躍するヤンオリ
2017年 若者からも圧倒的な指示を受けるヤンオリ。

2018年

2018年 クリトリック・リスと共演。

2018年 クリトリックリス(スギム氏)とヤンオリ。
2018年 堀&ヒロショーのツインボーカル。当時のベースはヒロキ。
2018年 新・筋肉コンビ。
2018年 筋肉が躍動するヤンオリ。

2019年

2019年1月 NICOTINE 、GELUGUGUなどが参加する(全国65バンド)1分V.A「SAME OLD SHORT TUNES 2」に「泥棒猫(ショートVer)」で参加。独自に(勝手に)レコ初ライブを行う。

2019年4月 「平成最後の不良五輪」として”平成最後のLIVE”を行う。レギュラーメンバーとしてのパフォーマー・パーカッション・ボディービルダーが結成以来不在になる。

2019年 ”天才”原本ファミコン。
2019年 パーカッション不在でパフォーマンス力の低下が懸念されたが、原本ファミコンの活躍により払拭される。

2019年4月、長野県で開催される「りんご音楽祭2019」の九州エリア最終オーディション「RINGOOO A GO-GO2019」に進出したことを発表。6月、福岡県での九州地区最終オーディションライブに出演するも、本選には進出ならず。

2019年 久々、県外ライブに参加するヤンオリ。県外ながら、手持ちチケットは完売。但し、オーディションにはお約束の落選。あらえり加入により、さっちんがボーカルへ。
2019年 県外での活動を行うヤンオリ一同。

2019年5月、Eggs主催オーディション企画Boan to 九州2019の2次審査に進出したことを発表。
Eggs全国週間ランキングで48位になるも、3次審査進出ならず。

2019年6月、exミドリ・後藤まりこと共演。パフォーマー不在で困っていたところ、増えすぎる。

2019年 DJ後藤まりこと共演。
2019年 後藤まりこ氏より強引にコメントをもらうリーダー松村(動画)
2019年 カルト的な人気を継続するヤンキーオリンピック。

2019年7月、VANS主催音楽コンテスト「VANS MUSICIANS WANTED 2019」に参加。
日本国内10位となる。(瞬間最高国内5位)

2019年 国内瞬間人気投票10位(最高時5位)まで上り詰める。

2019年9月、人間便器RECORDS20周年記念PARTY「人間便器NITE#13」を開催。
「熊本ゾンビ系地下アイドルあらえり握手会」「~ヤンオリにファミコンは2人いらねぇ!ファミコン VS スーパーファミコン 負けたら即引退SP」といったサブ企画も同時に行われる。

2019年 ファミコンvsスーパーファミコンの企画が注目を集める。
2019年 この頃より本格的にヤンオリ「あらえり」ブームが起こる。
2019年 人間便器RECORDS20周年記念PARTY「人間便器NITE#13」を慣行。180名を集客する。

2019年11月 2002年(当時は熊粋祭)ぶりとなる、熊本大学・紫熊祭「ロック研究会ライブハウス企画」に「17年ぶり3回目」ゲスト出演を果たした。

2019年 熊本大学ロック研究会主催・紫熊祭「ロック研究会ライブハウス企画」に「17年ぶり3回目」ゲスト出演を果たす。

2020年

2020年 「ヤンオリ20周年」企画として2月のライブイベント参加と自主企画「春の陣」「夏の陣」を大々的に発表するも、新型コロナウイルスの影響により中止・延期を発表。


また、熊本県人吉市在住メンバー2名が7月の南九州豪雨災害被災に合い、今後の活動が心配される。
自身らが南九州豪雨災害被災を受けたメンバーもいながら、各々が積極的にボランティア活動に参加する。

2020年は結果コロナ禍によりヤンオリとしてのライブ活動を行えず、結成以来初めてライブを行わない1年となってしまう。

2020年 ヤンオリ20周年ライブをの2回開催を発表後、世間はコロナ禍へ突入する。渋々ヤンオリリーダー松村はソロとして「ネット配信」にて活動を行っていた。

2021年

2021年4月 熊本市内にあるリハーサルスタジオ「スタジオスミス」のYouTubeチャンネル「スミスちゃんねる」にまら社長(松村)出演。「コロナ禍の為、今後もライブ活動が未定である」旨のコメント。ヤンオリが多人数バンドかつメンバーが県跨ぎとなる為、コロナ禍でのライブ活動が困難である状況となる。

2021年 YouTubeチャンネル「スミスちゃんねる」で鶴田氏にコロナ禍で活動が制限されている旨を報告するリーダー松村。

2022~2023年(尾崎気まぐれ復活~ファミリー向けヤンキーオリンピック期)

2022年

2022年5月、同年6月に開催される「GAIN LINE Vol.75」での「コロナ明けLIVE」を発表(活動再開という表現はあえて使っていない)。

ライブ直前に2016年のレコーディング以来バンドに一切かかわっていなかった結成オリジナルメンバーで元メインボーカル「尾崎慶彦」の8年ぶりの再加入を発表し話題となる。


当時、尾崎の復活が限定的なものなのか、継続的なものなのかが注目となった。
(その後、現在にいたるまでの継続復帰となる)

2022年5月 尾崎慶彦8年ぶりのライブ復帰。田上翠も約4年ぶりにサポート参加する。当日のライブはYouTubeにて生配信され話題となる。
2022年 ヤンキーオリンピック × NO KIDDING

2022年11月、ボーカル堀の欠場(後に、突発性難聴となりバンド活動が困難であることを公表)もあり、引き続き初代メインボーカル尾崎慶彦がメインボーカルを務める。

新メンバーお囃子担当・真実(まみ)加入。

2022年 あらえり・真実の人気に頼り切りになるヤンオリ。
2022年 新メンバー「真実」の加入(引き抜き)により、人気を不動のものにするヤンオリ。

2023年

2023年3月「健軍桜マルシェ2023」に出演。老若男女に楽しんでもらうため「ファミリー向けヤンキーオリンピック」スタイルを並行して取り入れる(下ネタ禁止)

2023年 「健軍桜マルシェ2023」にてファミリー向けヤンキーオリンピックを敢行する。
2023年現在も、筋肉頼りのヤンキーオリンピック。
2023年 約3年ぶりの熊本Djnagoにて
2023年 相変わらず騒がしいステージングのヤンオリ

2023年5月 所属レーベル「人間便器RECORDS」25周年目シーズン突入。

2023年6月「健軍商店街夏祭り」に参加。健軍商店街ピアクレスをファミリー向け・アコースティック「練り歩きスタイル」で慣行する。

2023年6月 ファミリー向け部門を極めるヤンオリ。
2023年6月 健軍を愛し、健軍に愛されるヤンキーオリンピック(初の練り歩きにチャレンジ)

2023年8月 熊本市関連事業 江津湖花火2023 健軍ストリートLIVEにて3ステージ(3練り歩き)を敢行。

2023年8月 熊本市江津湖花火大会2023関連事業イベント「健軍ストリートライブ」にゲスト出演。
2023年 熊本市関連事業の「江津湖花火2023 健軍ストリート」に3練り歩き(3ステージ)登場。写真はJING_PHOTO撮影。

2023年8月 J2・ロアッソ熊本のきなっせロアッソスタグル!@えがお健康スタジアムでライブ。

2023年8月 ロアッソ熊本@えがお健康スタジアムにゲストとして参加する。
2023年8月 えがお健康スタジアム(の外)でライブを行い。「スタジアム級バンドになった!」と騒ぐヤンオリ。

2023年9月、きなっせロアッソスタグル!運営の「熊本スポーツ応援団」が集中豪雨・竜巻で機材の全破損と甚大な被害を受けたことを受け寄付金を行う。

2023年10月キャリア初となる「熊本県野外劇場ASPECTA(アスペクタ)」でのライブ。

2023年 結成24年にしてビッグステージに立つヤンオリ。24周年目のバンドながら当日は一番の若手であった。
「金玉 in my head~Aso will Rock You Ver.~」を全力でうたいあげるヤンオリ。ライブ後、MCかなぶんや氏に「阿蘇の素晴らしい空気を引き裂くような放送禁止用語が飛び出していましたけども…」とMCをされる。

2023年10月 前月9月に「熊本元気応援団」へ就任したことを発表し、健軍商店街ピアクレスにて、「ハロウィン企画・100人練り歩きヤンキーオリンピック」開催する。

健軍商店街練り歩き3回目にして、関係者に「音がうるさい」と注意を受けるヤンオリ一同。

2023年11月 結成「25周年目」シーズンに突入。

2023年11月 2度目となるJ2・ロアッソ熊本ホーム戦(えがお健康スタジアム)の「きなっせロアッソ!スタグル」にゲスト出演。「1万人超」の待機列に練り歩き(チンドン屋形式)で突っ込み好評を得る。

2024年~ 結成25周年シーズン突入

2024年

2024年もすでにライブスケジュールを多数発表。25周年シーズンも活動が期待される。

2024年1月、新春ギンギラ歌謡弾き語り大会にゲストとして出演。リーダー松村がイベントのメインMC(司会)も併せて行う。

2024年2月、J2「ロアッソ熊本」の2024シーズン開幕戦(vs 清水エスパルス 戦)にゲスト出演。
8,000超のサポーターを前に練り歩きLIVEを行う。

2024年 独立プロ野球リーグ「火の国サラマンダーズ」チームと共演をするヤンオリ。

2024年3月、J2「ロアッソ熊本」の2024シーズン2節目(vs ザスパ群馬 戦)にゲスト出演。
4,000超のサポーターを前に練り歩きLIVEを行う。また
当日、熊本スポーツ応援団「タイチジャングル」氏よりヤンキーオリンピックが「きなっせ!ロアッソスタグル」の準レギュラーになった事が会場でアナウンスされる。
(ヤンオリ準レギュラーは2024年1月時点で決まっていたが非公表であった)

2024年3月 熊本市東区区役所のHP、facebook、Instagramに2024健軍桜マルシェ~健軍クリーンアップ大作戦~記事中にヤンキーオリンピックが取り上げられる。
また同じく、3月熊本日日新聞社にも取り上げられ騒ぎとなる。

2024年3月、J2「ロアッソ熊本」の2024シーズン開幕戦(vs いわきFC 戦)にゲスト出演。
LDH所属アーティスト「Leola」と共演。
4,000人超のサポーターを前に練り歩き&ミニLIVEを行う。

2024年3月「ヤンキーオリンピック 春の2DAYS」開催。初日はJ2ロアッソ熊本vs.「ジェフユナイテッド千葉」戦にて3,500人超の観客の前で練り歩きを披露。

2日目は、「2024健軍桜マルシェ」にて3万人の前で練り歩きを披露。
またヤンキーオリンピックとゴミを拾おう「健軍クリーンアップ大作戦!」を実施する。

2024年4月 J2ロアッソ熊本vs.「V・ファーレン長崎」戦にて6,500人超の観客の前で練り歩きを披露。また、キャリア初のえがお健康スタジアム内に登場し「ロアッソくんサンバ」を披露する。